「その言葉の意味をわかっているのか。」
「はい。私は誰にも新選組のお話をするつもりはありません、ですからどうか・・・。」
「俺が頷くとでも思ったのか。」
「これが近藤さんから進められたお話でもですか?」
その一言で土方の動きは止まった、今までただ子供の我儘を聞き流してもいるかのように背を向け、筆を動かしていたその手が今では動く気配すらない。
「・・・どういう意味だ。」
筆を置き、いまだ千鶴に背を向けたままの格好で耳を傾ける土方。
彼の性分故か、近藤という言葉には反応せざるを得ないのだろう。
「近藤さんはこれ以上私を新選組に置くわけにはいかないとおっしゃいました。私の身柄は松本先生に預け、少しずつ新選組から遠ざけていくと。」
「お前はそれを望んでいるのか。」
「近藤さんがそうおっしゃるなら・・・。」
「あの人の事を聞いてんじゃねぇ、お前の事だ。」
「・・・はい、望んでいます。」
土方は一言そうかとだけ呟いて千鶴を下がらせた。
その後はもう酷いもので、いつもならあまり時間もかけず片付けてしまう仕事でさえ手がつかなくなった。
私は新選組にはいらない存在なんだと思う。
本当ならここにいたい。でも自分は鬼で、ここにいては迷惑をかけてしまう厄介者。
もういっそ殺してくれと思い悩む事だって何度も何度もあって、私はここにいるだけで迷惑をかけてしまうのにってずっと思ってた。
だから近藤さんからこの話が出た時は正直ほっとした、もうここにいて皆さんに迷惑をかけなくてすむ、それだけで私は・・・。。
本当は誰にも言わず出ていく手筈だった、近藤さんは自分が口添えすれば大丈夫だからと言って。
誰にも言う事無く一人この場を離れればすむ話だったのに、どうして私は土方さんに話してしまったんだろうと今頃になって後悔が押し寄せてくる。
不器用で一見厳しく見えるのに本当はずっと気遣ってくれて、しっかり私と向き合ってくれた人、だから黙ってここを離れるなんて出来なかった。
私は土方さんが止めてくれるでも思ったんだろうか、それを期待したんだろうか。
「近藤さん、千鶴の事なんだけどよ。」
「ん?雪村君がどうかしたのか。」
「千鶴に離隊を進めたのは本当か。」
「・・・雪村君は話をしてしまったか、やはり彼女には荷が重すぎたのかもしれんな。」
「どうなんだ近藤さん。」
「本当だ、でも考えていたものと少し違うな。」
「なんだと?」
その言葉に土方は眉をひそめた、自分のいない所でこのような話が進められていた事だけでもあまりいい気がしていないというのに、まだ何かあったのだろうかと。
「雪村君は黙ってここを出ていくはずだった。」
「なんでそんな事を進めた、あいつが苦しむだけじゃねぇのか。」
「ならここにいたら雪村君は幸せになれるのか?」
「・・・。」
「俺はもし自分の娘がこんな状態にあったならいますぐ逃がしてやりたい。」
「千鶴はあんたの娘じゃない、それにあいつは新選組の」
「それがなんだと言うんだ?あの子はもう嫁に行ってもおかしくない年齢だ。雪村君が新選組の事を話す人間ではない事くらい、トシもわかっているだろう!」
近藤が珍しく声を荒げた。
いつの間にか千鶴を自分の娘と重ね、ずっと新選組に置いておく事に疑問を持ち始めた。
だからこそこの話を千鶴に持ちかけたのだろう、自由に生きて欲しかったから。
「ああ、だがここを出て行ったとしてもあいつが幸せになれる保証なんてねぇだろう。」
「だから松本先生にお願いするのだ、松本先生は心から信頼できる方だ。心配する理由がどこにある?」
「それはだな・・・。」
「じゃあ聞き方を変えるが、トシは雪村君を幸せにできるのか?」
「・・・。」
「このまま事が進めば三日後の早朝に雪村君はここを出ていく。トシ、雪村君をもう自由にしてやれ、彼女は黙って出ていく事も出来たんだ、それをわざわざお前に伝えてきた。世話になった人物に黙っていく事はできなかったんだ、それが自分の自由を奪っている存在でもな。」
わかっている、ここで俺がするべき事くらい。
首を縦に動かせばすべて終わった事くらい。
新選組副長としての俺ならこの手で千鶴を討ち取る、いくら近藤さんが逃がせと言ってもあいつは知ってはいけない事を知っている。
土方歳三としての俺なら・・・。
それから三日後の早朝、千鶴は最初の手筈通り荷物をまとめ外へ誰にもみつからないようにと外に出た。
もう少しで誰にも見つからず外に出る事ができる、そう思っていた矢先、門の方に朝もやでぼやけた人影が揺らめいている。
一歩一歩近づけばその人物がくっきりと浮かんだ、刀を持った土方歳三が。
「おはようございます。」
「ああ。」
怖がってはいけない、必死に自分に言い聞かせても身体の震えは収まらない。
「今日で最後ですね、こうやってお話できるのも。」
「ああ・・・一つ聞く、お前は生きたいと思うか?」
「はい。」
「だが、そういうわけにはいかねぇんだ、わかってるな。」
「・・・はい。」
そっと目を瞑れば今までの思い出が頭の中を駆け巡っていた。
ああ、これが走馬灯なのねなんて暢気な事を考えてその時を待つ。
最後の最後にこの人の手で逝けるのならば幸せな一生だったと言える、心から尊敬して心から・・・。
土方は千鶴の高く結わえられた髪に触れる、そして勢いよく刀を振った。
しかしいつまで経っても千鶴に痛みは訪れない。
千鶴がぎゅっと閉じた目を恐る恐る開けば、地面には自分のものと思わしき髪の毛が落ちていた。
「どうして・・・。」
「新選組にいた雪村千鶴はたった今死んだ。」
「土方さん?」
「この髪は男の雪村千鶴が最後に残したものだ、そうだろう?」
ああ、やっぱりこの人は・・・。
「はい、ここにいるのはただの雪村千鶴という名の女です。」
「ああ。」
そして土方はもう一度千鶴の高く結った髪に手を伸ばし優しく撫でると、赤い結い紐をそっとほどいた。
「随分短くなっちまったなぁ。」
「もともとです。」
これから千鶴は一人の女として生きる、きっともうここにいた人たちと会う事などできない。
「土方さん。」
「なんだ。」
「これから言う事は一人の女の独り言です。」
「ああ。」
「あまり仕事に根を詰めすぎないでくださいね、土方さんはいつも無理をしますから。」
「・・・。」
「お茶が飲みたいと思ったら休んでください、それくらいが丁度いいんです。」
「お前は・・・くっ、かなわねぇな。」
土方が笑った、三日前から一度たりとも見る事が出来なかった千鶴の一番見たい顔がそこにあった。
「じゃあこれは他人の独り言だ。」
「はい。」
「自分の事を大事にしてやれ、人の事ばっかりじゃなく自分の事も少しは考えろ。」
「・・・土方さんは本当にずるい方ですね。」
「さぁな。」
「そして、本当に優しい方です。」
「・・・。」
二人はお互いを見ていた、誰よりも近く、遠い場所から。
「達者でな。」
「土方さんも。」
私は土方さんに一礼すると真っ直ぐ前を見て歩きだした。
千鶴が横を通り過ぎたのと同時に俺は真っ直ぐ屯所の方に歩みを進めた。
一度も振り向かずに。
一度も振り向かずに。