放課後、恋人からの呼び出しに生徒会室のドアを叩けば、いつもは書類を何枚も置いても埋まらないはずの机がケーキやゼリー、色とりどりの飴で埋め尽くされていた。
これは一体どういうことか、部屋の主に問おうとドアの前に立ち尽くしたまま視線だけそちらに送ってみると、その手にもビン一杯に入ったクッキーが握られている。
「来たのか」
何もなかったと言うように平然と話し始める彼。
どうやらこの状況はあまり珍しいものではないらしい。もちろん彼にとって。
「こんな量のお菓子、一体どうなされたんですか?」
千鶴の恋人であり生徒会長でもある千景の金銭感覚は一般のそれとだいぶずれているらしい。
「お前が甘いものが好きだと言っていたからな」
確かに甘いものは大好きだし、出来るなら毎日食べたいのだけれど、ものには限度というものがある。
「嬉しいですけど、こんなには食べきれません。飴やゼリーは日持ちしてもケーキはもって三日ですし」
これから三日間、三食全てをケーキにしても食べきれる気がしない。
前にも何度かこういう事もあったのは事実だし、それから全く学んではいないようだ。
「ちなみに、これ何個あるんですか?」
「今は50ほどだがお前が望むならいくらでも追加するが?」
50、その数字に眩暈がしそうになってしまう。さすがに一人では食べきれない、剣道部の皆さんにおすそわけが出来るなら話は別だけど。
「これ、おすそわけしちゃ駄目ですか?」
「どうせあいつらだろう。俺が愛する妻を犬共の巣に易々向かわせるような返答をすると思っているのか?」
剣道部のみんなにと言わなければきっと風間さんもわからないだろうし、もしかしたら大丈夫かもしれないと思っていたけれど、どうやらそれは甘い考えだったようだ。
どうしてこういう時だけ勘が鋭いのか、何度考えてもわからない。まるでなにかセンサーでもついているかのような……。
「天霧さんと不知火さんは?」
「何故そうなる」
「だとしたなら薫、とか」
「俺以外の男とは食すな」
どうしてこんなにも子供のようなのだろうかと考えずにはいられない。
これは風間さんの可愛い部分の一つなんだろうけど、今は少し困る。
学園の人達が駄目なら、今からお千ちゃんと一緒に食べようかな……忙しい人だから、自分から誘うのはなんだか気が引けてしまうのだけど。
「じゃあお千ちゃんと食べるので、持って帰ってもいいですか?」
途端、千景の眉がピクリと動き、表情は不機嫌なものへと変わった。
「もういい」
どうやらその言葉で拗ねてしまったのか、手に持っていたクッキーを黙々と食べ始めた千景。こういう時どんな言葉をかければ機嫌が直るのか、千鶴はまだ知らない。
「えっと機嫌悪くしちゃいました?」
「……いや」
言葉とは裏腹にこちらを見ようともしない千景に、千鶴は少しずつだが焦りを覚え始めた。
「一人では食べきれませんから、みんなと一緒に食べようと……」
その言葉にも全く反応を示してはくれない。いつまでもドアの前に立ち続けていてもお菓子は減らない、そう思い千鶴は教室内へと足を進め、机の前に腰をかけた。柔らかいソファが千鶴を包み、浅く沈む。
この部屋にあるものは全ていいものばかりで、今目の前にあるお菓子たちも例外ではないのだろう。きっと絶対に美味しいものを選んでいるんだろうけど、正直それをゆっくり楽しめるかと問われれば答えはNOだ。恋人を不機嫌にしてしまった上、最初から残してしまうとわかっているのだから。
「いただきます」
だが、その言葉を言った途端、千景は先程まで黙々とクッキーを食べ続けていた手を休め、こちらをじっと見ている。
「あ、あの……食べにくいです、そんなに見られると」
特に変わった行動をとったわけではないのに、どうしてこんなに見られているのだろうか。
私が食事している所を眺めても何も面白くないと思うけど。
「俺以外のやつらと食べたいのではなかったのか?」
その言葉に、千鶴はああなるほどと納得した。今までの不機嫌の意味も全部。
「一緒に食べたかったんですか?」
そんな事を言ってみても頷く気配など全く見せはしないものの、ただ俯きまるで図星を付かれたかのようになにも言わない。
「……まえは…だ」
唇を動かしている事からして、何かを伝えようとしている事はわかるのに、声が小さくて聞き取れなかった。
二人しかいい無い教室の中、しんとしずまりかえっているのに聞こえないほどのか細い声は、いつもの風間とは全く違い、面影すらなくなっている。
「言いたくないなら無理しなくても……」
「お前は、いつも俺以外とばかり仲がいい、昔も今もだ」
そんな事はないと自分では思っていても、存外相手には伝わっていないものなのだと改めて実感する。
自分は付き合いだしてから、できるだけの時間を彼と一緒にいたいがために開けてきた。練習試合とデートがかぶったらデートを優先するくらいには、だけど。
でも、自分だって好きでなければ付き合わない。
もしかしたら想ってきた時間の分、彼の方はこれでも我慢しているのかもしれない。なのに、いままで不満の一つももらしはしなかった。
「甘いものがあれば、お前はここに残ると思った。だが、それを他の男どもに渡そうとなどするから……」
本当にこの人は不器用だ。私も彼にだけは素直な方とは言えないけれど、そんな事をしなくても、私は傍にいる。傍にいたい。
「千景さん」
今まで一度も呼んだ事のなかった下の名前。それが嫌だったわけじゃない、ただ恥ずかしかった。
名前を言っただけなのに、心臓の音が高鳴って収まらない。体は熱を上げて頬までも赤く染め上げていく。
だけど今日くらいは素直になりたい。
「ち、づる……?」
まさか自分の下の名前を呼ばれるとは思っていなかったのか、動揺を隠せない表情の千景。
しかし最初に耐えられなくなったのは千鶴だった。ポスンと顔を柔らかいソファに埋め、顔を隠す。腰を掛けているから良かったものの、立っていたら確実に倒れている。
「千鶴」
「そっとしておいてください」
そんな言葉も届かぬまま、コツコツと千景の靴の音が近づいて来る。
「顔を上げろ」
すぐ目の前で靴音が止まったと思えば、直後に千景の声、耳まで真っ赤になっているような顔など上げられるわけがない。それこそ恥ずかしい。
「嫌です」
しかしそんな我儘が通るわけもなく、両頬を驚くほど優しく包まれたと思えば、無理やり目線を合わせられた。
「俺は千鶴が好きだ、愛している。お前が思うよりずっとな」
呆然としたままの私に千景さんは口づけた。何度も何度も食むように。
もう何度目かもわからなくなった頃、ようやく解放された唇で呟くのは愛の言葉。
「…私だって好きですよ……」
口付けで荒くなった呼吸を整えながら呟いた千鶴。
「今日はやけに素直だな」
「千景さんが…可愛かった、から…」
「言ってくれる。可愛いのはどちらか、思い知らせてや……」
千景さんはそれ以上言葉を紡げなかった。だって口を塞いでしまったから、私からのキスで。
私だって、やる時はやるんですから。これから覚悟して下さい、ね?