崩れた積木は戻らない。
急いで元に戻そうとした所で、元々あった形にはならないし、それはいままでの期間ゆっくり時間をかけて積み上げてきたものだ。
歪な搭ならばすぐに崩れてしまうだろう。
「あーあ……」
彼の携帯には新着メールが何件も入って来ていた。
受け取ったメールを返信している間にも、また新しいメールが入ってくる。
煩わしい。
こういう事態を招いたのは自分が原因だ。機嫌を悪くするぐらいなら最初からしなければよかった、それだけの話。
ただ、自分はそこまで大人では無い、我慢の限界だった。
これ以上彼女の傍にいれば千鶴を壊していただろうし、こうするしか道は無かった……のだと思う。
無理矢理抱くのは趣味じゃない。
なのに、束縛して無茶苦茶に掻き抱いて、自分だけの存在にしたい。そんな欲求が自分の中に渦巻いていたのだから。
「沖田君てば、また携帯見てるの?」
「うん、ごめんね」
女の子と一緒にいるのは、こんなにつまらなかったかな?
もう覚えていない、それくらい過去の事だ。彼女以外の女の子と時間を共有するのは。
何をしても満たされない、ずっと。
その上、これだけメールが届いている携帯には、総司が欲しいメールが一通も届いていないのだ。
今何をしているのかとか、誰といるとか、そんな事はわからない。
もし一緒にいる人物が男なのだとしたら、知りたくも無い。正気でいられる自信が無いから。
もう一カ月……遅いよ、千鶴ちゃん。
映し出される何人もの送信者名をじっと見つめながら、彼はグッと唇を噛んだ。
鉄の味がしたような気もしたが、きっとこの子が舐めとるんだろう。
「何はともあれ本当に良かった!俺はどうなる事かとずっとハラハラしてたんだ、本当によかったよ」
薫はここ一カ月、ずっと機嫌が良かった、そして毎日のように千鶴にそう告げるのだ。
「俺の千鶴が帰ってきてくれたんだから」
丁度一カ月前の事、千鶴は薫に泣きついた。
家に着くまで涙が零れなかったのも本当に偶然だ。
もし途中でカップルを目撃していたり、誰かに話しかけられただけでもわんわんと泣いてしまっていただろうから。
「薫、そんな事より課題しようよ」
千鶴の部屋、机越しに向かい合った二人は髪の長さを除き、鏡を見ているようにそっくりだ。
ただ違うのは、一人は口に弧を描き、一人は大切なものを忘れてしまったとでもいうように、目から光が消え失せていた。
「ああ……ねぇ千鶴、やっぱり例外なんてなかったんだよ」
「……そう、かもね」
千鶴の頭に木霊するのは、彼の声。
決まって最後には「距離を置こうよ」と言って消えていく。
嫌と叫べたらどれだけよかったか、自分の発言をあんなに悔やむ事になるなんて思わなかった。
彼が幸せならそれでいい。ずっとそう思っていたのに自分は欲張りだ。
見たく無くても見せられる、聞こえてくる彼の噂。
「何、まだ引きずってるわけ?他の女と歩いてた事だって聞いてるんだろ?」
写真も見せただろ?と、彼は言う。
「うん、だけど長かった分ね」
「でも、あいつは引きずりもせず違う女と歩いてた。生きる世界が違うと思わない?」
「知ってるよ、そんな事」
ずっとずっと前からわかっている。それなのに諦め切れていない、昔も今も。
残った可能性が千鶴を責める。たった一言送ればいいだけ、会いたいと。
思い出すのはあの日の事、最後に彼の部屋を訪れたあの時の事。
その日、優しいキスを落としてくれた彼。
唇ではなくおでこにではあるけれど、それだけで充分幸せだった。
なのに、次の瞬間発せられた彼の言葉でその幸せは脆くも崩れ去った。
「ねぇ、距離を置こうよ」
頭に響く声に、時間が酷くゆっくり流れているような感覚に襲われて、え?と、聞き返す。
彼はずっと笑顔のままで、今までと変わったような素振りは全く無い。
「距離を置こうって言ったんだよ。最近さ、刺激が足りなくて」
別れるとは言わない、そもそも正式に付き合ってなどいないが。
横になっていた身体をバッと起こせば、彼もそれに続く様に徐々に起き上がる。
「えっと、好きな方が出来た……とか」
「千鶴ちゃん以外に?いないよ」
サラリと告白した彼。しかし今の千鶴には耳を掠めるだけで、顔を赤く染めるなんていう甘い展開は期待できそうにない。
「あの、私何かお気に障る事とかしましたか?」
してないよ、と柔らかく言う総司。しかし先程とは違い、目は鋭い光を帯びていた。
「飽きちゃった、今の状況に」
一転した声域。冷たく放たれた言葉は、グサリと千鶴の胸を刺した。
「飽き、た……?」
「でもね、君を逃がすつもりも無いよ」
彼は欲張りだと思う。飽きたと言ったのに、それでも離してくれないのだから。
相手をしてくれる人なら他にもいるくせに。浮かぶ過去に千鶴の目には徐々に涙が溜まり始めていた。
「逃がすって、なんだか私が先輩に捕まってるみたいですね」
「そうだね、でも僕も君に捕まってると思うよ」
ここまで依存したのは君が初めてだ。そう後に続ける総司。
しかし、距離を置こうと言っている本人が、そんな事を言う真意など千鶴にはわからない。
「だから、一旦離れたいんだよ」
別れるつもりだった。ずっとこんな状態が続くなら、お互いのためにもならないから。
それなのに、彼は逃がさないと言い放つ。そして千鶴自身も離れたくないと思っている。
いずれいずれと先延ばしにしてきた瞬間、それが現実になったのに。
「それに、僕は千鶴ちゃんから求められたい」
「え?」
驚いたように声を洩らす彼女、しかし彼は答えてくれるつもりは無いらしい。
「戻りたいって思ったら、会いたいってメール入れてよ」
会話に置いていかれている感覚に苛まれている千鶴を尻目に、彼はベッドから立ち上がる。
すると、彼女のか細い身体を自分の腕の中に収め、横抱きにした。
「きゃあ!?」
所謂お姫様だっこ。バタバタと手足を動かし抵抗してみても、動じようともしない。彼にしてみれば子供と同等なのだろう。
「これはね、逃げ道でもあるんだよ」
彼の部屋を出て、廊下を歩く最中彼は語る。
「もう会いたくないなら連絡しなければいい」
「そんなのって……」
それ以降、玄関に着くまでの間、千鶴も総司も口を開かなかった。
「じゃあね、千鶴ちゃん」
靴を履かされ、家の外へと出されたかと思えば、にっこりと笑った彼が手を振っている。
理解が追い付かない。先程までは部屋に居たのに、いつの間にか外にいる。
呆然とその場に立つ千鶴は、扉が閉まった音にハッとした。
もう目線の先に彼はいない。硬い扉が二人を遮っていた。
「沖田、先輩……?」
呟かれた名前は本人に届く事は無い。
じわりじわりと湧いて来る実感。たった今告げられた現実に、彼女の体は震えていた。
早く、帰らなければ。
溢れそうな熱い雫を感じ千鶴は走った、ヒール付きのサンダルを鳴らしながら必死に。
一度出てきてしまえば、これはきっと留まる事を知らないというように、しばらくは止まってくれないだろう。
外で泣くわけにはいかなかった。
走っている間考えるのは先程の言葉、狡い彼の言葉。
まるで、誘導尋問なのだから。